輪るピングドラム 第18話「だから私のためにいてほしい」

いやあ、すごい話でした。陰鬱で、悲しくて、目が離せない30分。本作の力をあらためて見せつけられた思いです。


多蕗もまた、幼い頃に親の愛を失った子供でした。自らピアノを捨て、自分の価値が無くなったと思い込んだ彼が迷い込んだのは「こどもブロイラー」。そこは「いらない子供たちが集められる場所」でした。こうした摩訶不思議空間の創造は実に幾原監督らしいです。シュールレアリズムと言いますかね。また、こちらは幾原監督作品ではありませんが、雰囲気的には「忘却の旋律」を連想するところでもありました。


こどもブロイラーによって粉々につぶされ、透明な存在となろうとした多蕗を救ったのが桃果でした。彼女は多蕗のピアノを聞いて、彼の心を好きになったとのこと。ゆり同様、このような救われた体験があっては、桃果を神聖視し、忘れられないのもうなずけます。


それにしても、桃果の強さと優しさとは一体どこから来るのでしょうか。「人類の救世主」とまで多蕗が評した彼女の本当の姿も、また、ラストに向けて明かされていくことでしょう。


舞台は現在に戻り、多蕗の復讐から体を張って陽毬を守ろうとする冠葉。その冠葉を助けるべく、自らの不治の運命を語って飛び降りようとする陽毬。悲しくも感動的なシーンが圧巻でした。ここでの陽毬の落ち着きぶりがまた印象的で、なんだか「覚悟した目」なんですよね、彼女。3号も陽毬の心情を表すかのようにマイペースで編み物してますし。自分の死を受け入れつつも、精一杯幸せな日々を楽しもうとしていたと思うと、切ないです。


胸をなでおろしたことに、陽毬をそのまま殺すほどには多蕗も「モンスター」にはなりきっていませんでした。苹果に「僕のようになっちゃ駄目だ」と忠告して去っていきます。彼が苹果のことを可愛がっていたのは、桃果の面影もあったにしろ、自分の価値を消さないでほしいという願いが込められていたのですかね。


「私は違うよ、私は晶馬くんたちのことを嫌いになったりしない」


苹果がまるで正統派ヒロインのようです……。前半のことを思うと感慨深い。思えば、ひどい親ばかり出てくる今作において、荻野目家は離婚したとはいえ、良い親なんですね。少なくとも苹果のことを邪険にしたりはしてませんし。その辺がひとつの希望なのかもしれません。


いよいよ終盤となりますが、彼ら彼女らの明るい未来を願うばかりです。