ユリ熊嵐 第7話「私が忘れたあの娘」

相変わらず、人とクマというのが何を指しているのか分かりません。「透明な嵐」の排除の儀で何を言いたいのかも分かりません。分かりませんが、それで良い。本作は何も考えずに見ても面白いです。


さて、前回まであまりにも卑劣で気分が悪くなる「透明な嵐」を率いていた針島薫ですが、今回あっさりと「クマショーック」で退場。本作にはウテナの合唱曲やピンドラのプリクリ様降臨みたいなインパクトのある歌はないですが、この「クマショーック」とか「ユリダーク」とかが、同じ様な役割を担っていると言えましょう。CGのわざとらしさを残した手も面白い。それにしてもこのクマは誰なのか。委員長が生き残っていたか、あるいはあのどことなく怪しいユリーカ先生か。


一方、銀子(るる&)と紅葉は急接近なのでした。「るる、かしこーい」。銀子のために頑張るるるも可愛いですね。結果的にハニージンジャーミルクが紅葉の記憶回復につながってわけですから、お手柄。セリフに「ガウ」が付くのが癖になりそうです。


そんな中、銀子の過去が明らかに。孤児(孤グマ)であった銀子は「ヒトリカブト」とからかわれ、しだいにすさんでいくのでした。「弱肉強食、鮭肉サーモン!」。暴力に走って周りのクマをなぎ倒しても、結局は孤独な銀子(ここで倒れていたクマが家族の呼びかけであっさりと起き上がるところは笑いましたが)。この「ヒトリカブト」というのがよく分からなかったのですが、「ヒトリ」と「トリカブト」をかけてるんですかね。なぜトリカブト? 


クマの世界にも教会みたいなところがあって、クマリア様を信仰しているようです。最初は「小惑星クマリア」ってなんだそりゃ、という名称でしたが、まさかクマとマリア様を融合させていたとは、お釈迦様、いや、マリア様でもでも気づくまいですよ。しかし、このクマリア様というのは紅葉の母が書いた絵本の中の存在であったはず? これはどういうことなんでしょう。実はクマの世界は絵本の中の世界であったとか。それが極端ならば、紅葉の母はユリーカ先生(やっぱりクマ)からその話を聞いていたとかですかね。


孤グマを育てておいて人間との戦争に駆り出す残酷なクマ社会。そこで倒れた銀子の目の前に紅葉が現れ、彼女に「スキ」を与えます。これは銀子にとって紅葉が「私のクマリア様」になるのも当然ですね。このシーン、訳がわからない世界観なのに、やたら感動的でした。ただ、初対面(?)のクマに紅葉がこれほど入れ込んだ理由は不明。果たしてそれもこれから語られるでしょうか?