京アニKanon 第3話「記憶のない組曲〜partita〜」&東映Kanon 第3話「たった一つの小さな記憶」

京アニKanon絶賛視聴中な今日この頃ですが、勢いに乗って(?)東映Kanonの第3話まで引っ張り出してみました。内容的にほぼ同じ部分ですし、サブタイトルもちゃんと「記憶」で揃ってますやね。これまでのところ両作とも大体区切っているところは一緒なので、自然にやるとこのへんになるってことなんでしょうか。あるいは京アニ東映のほうを多少参考にした可能性もあるのかも。少なくとも京アニスタッフが東映版に目を通していないってことは無いでしょうし。


東映Kanonをじっくり見るのは久々でしたが、普通に面白かったので意外なほどでした。さすがにどう贔屓目に見ても、映像とキャラデザは京アニ版のほうが上ですが、オリジナルなセリフや展開も多い東映版も捨てがたい味があります。ダンボールから出て来る真琴や、夜食のときにやっぱり眠そうな名雪は個人的に評価が高いところ。色合いも、原作のくっきり感に近い京アニ版に比べ、ほんわかした感じです。


特筆すべきは東映版のOPとEDで、歌を含めた作り自体は(くどいようですがキャラデザの好みはともかく)京アニ版に勝るとも劣らないんじゃないかという気がしました。あゆがくるくる回るところや真琴が花びらを舞わせるところが良いですし、なんといっても藤原美穂さんの歌う「florescene」と「flower」がなかなかの名曲です。僕はKanonアニメの歌というと、真っ先にこっちが思い浮かびますね。


最近ネット上の評を見ていると、東映Kanonは過小評価されているのではないかと思います。確かに名作と呼びがたく、中の下から、良く言って中の中くらいかなと僕も思うのですが、黒歴史呼ばわりされるほどひどい出来では無かったでしょう。そもそも5人のヒロインを1クールでやろうとした時点で無理があるのであって、仮に京アニでも同条件ではまとめるのに精一杯というところではないでしょうか? まあ、比較対象に運が無いと言われてしまえばそれまでなんでしょうけどねえ。


しかし考えてみれば、東映版が放送されてからまだ5年。こんな短期間に、同じ話を別の制作会社が作るという事例はこれまであったのでしょうか? アニメ史も契約関係も詳しくないので知らないのですが、版権とかどうなっているんだろうなあ、と思います。あと、東映Kanonのスタッフの思いはどうだろう、とも。



……なんだか、京アニKanon3話の感想じゃなくなってるので一言だけ。祐一に対し、「栞です」と名前だけで応える栞がさすがにうまいアレンジでした。美坂なんて珍しい名字、普通聞いた途端に連想するはずですからね。