さらば赤田、そしておかえり

赤田将吾 現役引退を発表(デイリースポーツ)


松坂世代。まさにその松坂のすぐ後の98年ドラフト2位で西武に入団した選手でした。若いイメージのあった彼らも、もう次々とユニフォームを脱ぐ時期になってしまったのだなあ、と寂寥感です。


赤田は身体能力抜群の選手で、将来の主軸として期待されていました。当時の西武は東尾監督下の弱体打線時代で、高校通算49本塁打の赤田にかかる期待は大きかったのです。一年目の後半には早くも一軍で起用され、49打数14安打の打率.286。今年の森友哉が80打数22安打の.275ですから、打数や長打の差はあるとはいえ、打率では森以上。西武ファンは大いに期待したものです。


しかしながら、その後数年は伸び悩み。外野に転向し、ようやく芽が出てきたのは03年、レギュラー定着したのは04年からとなりました。04年から06年までは俊足巧打の外野手として活躍。04年はシリーズでも活躍し、日本一に貢献しました。しかしよもや、彼がレギュラーだったのがこの3年だけになろうとは。


故障がちだったことと、やはりちょっと打撃のパワーが足りない印象はありました。上述のように、最初はパワーも期待されていた選手だったので、やや小さくまとまってしまった感も否めなかったです。そりゃスラッガーではないにしろ、もうちょっと長打を目指しても良かったんじゃないかなと。ただ、レギュラーを退いても人望厚い選手会長として、人気は高かったです。


その後オリックスに移籍。さらに、糸井を含む大型トレードの一環として日本ハムに移籍。ベテランとしての味を発揮していましたが、世代交代に押し出される形で引退となりました。お疲れ様でした。


と、そんなニュースから間髪入れず、


ハム退団の赤田氏 西武“新設”育成コーチで古巣復帰へ(スポニチ)


という嬉しいニュースが。やはり在籍当時の存在感を西武球団は忘れていなかったということなのですね。順番からすると、最初に「退団して現役模索」から一転引退となったのは、このオファーがあったからかもしれません。新設の「育成コーチ」なる担当が何をするのか、船頭多くして船山に登るとならなければという心配はちょっとありますが、赤田コーチの第2の活躍に期待します。