「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」

日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ (講談社現代新書)

日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ (講談社現代新書)


多少歴史に興味があっても、日中戦争というのはいまいち分かりにくい戦争であったりするわけです。緊張関係だった日中両国が1937年の盧溝橋事件での偶発的な衝突から全面戦争に突入し、1945年の終戦まで泥沼の軌跡をたどった戦争。僕もその程度の認識はあるのですが、なぜそこまで長期化してしまったのか。そもそも、日本はなんのために戦ったのかという点が判然としませんでした。そこで、理解の一助にと本書を一読。


タイトル通り、本書のメインテーマは、日本が殲滅戦(決戦思想とでも言いますかね)中心に戦争をとらえていたのに対して、中国(国民党・蒋介石政権)側は当初から広大な国土を生かした消耗戦を想定していたという点にあります。だから日本は首都の南京を落とせば中国が降伏すると見込んでいましたが、中国が重慶に根拠地を移して抵抗を続けると手詰まりになってしまったと。ナポレオンのロシア戦を連想するような話ではあります。


また、日本はこの戦争に対して国際的理解を取り付ける努力を怠っていた――少なくとも中国ほどではなかった――ことも、長期的には響いていきました。中国は欧米諸国に対して、「侵略する日本と、祖国防衛に立ち上がる中国」という構図をアピールし(まあ、実際そんな感じではあったわけですが)、同情や援助を受けることに成功します。この「外交力」の違いが日本を窮地に追い込んだと著者は指摘します。う〜ん、どうも内部の理論で事足りてしまって、世界の考え方に目を向けようとしないあたりが、日本の島国根性的な欠点ということですかねえ……。口先では日中友好を唱えつつ、親日的な傀儡政権を作ろうとしていた日本の「悪どさ」も見逃せないところです。


本書ではほかにも、当時検閲された文書資料の紹介など、興味深い視点がありました。ただ、新書の薄さによる悲しさか、結局日中戦争の本質はつかめなかった印象。結局日本が自らの軍事力を過信し、和平のチャンスも逃して突き進んで自滅してしまった、ということなんですかね。悲しい話ですが。またもうちょっと別の本も読んでみたいところです。


著者は最後に、ハードパワーばかりに固執し、ソフトパワーを軽視する日本の悪弊が現在に至るまで続いていることを指摘し、一方で中国のソフトパワー利用の巧みさを称賛しています。もっとも、日本のことはさておき、国際的な軋轢を多数引き起こしている近年の中国のソフトパワーが、それほど高いものかは疑問も残りますけどね。