「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」

ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?

ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?

ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?

ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?

ファストにスローといってもフードの話ではありません。本書は近年とみに注目が高まっている「行動経済学」について、非常に分かりやすく、なおかつ内容豊富にまとめられた一品なのです。著者はノーベル賞も受賞した第一人者であり、その語り口はソフトにして奥深い。さすがの実力と感じさせられました。


上下巻約700ページに渡って書かれていくのは、「人間の選択がいかに不完全で、不合理に満ちているか」ということ。そのトピックは幅広いです。行動経済学の話題をちょっとかじったり聞いたりしたことのある人ならおなじみのものもいくつかあるでしょうが、知らないものもたくさんありました。


著者は様々な場面に対する人間の反応を「早いシステム1」と「遅いシステム2」に分類して説明します。これは直感と熟慮と言い換えられるかもしれません。簡単な例として「2+2」の答えは、それこそ0.1秒もかからないくらいで出せますが、これが「17×24」になると大抵の人は一瞬とはいかないでしょう。じっくり考えることになります。前者の時に働いているのがシステム1で、後者がシステム2だと本書は区分します。なお、著者も断っていますが、これはあくまで比喩的表現であって、脳の中に実際にそのようなシステムがあるわけではないとのこと。


PC的に言えば、システム1は言わば常駐ソフトですかね。常に働いていて身の回りのことに対処していると。それで大体のことはなんとかなるのですが、もうちょっと思考が必要なことについてはシステム2という計算ソフトを起動すると。ただ問題なのは、このシステム1が間違いやすい上に、システム2が怠け者でなかなか働いてくれないということです。


例として次のような問題が紹介されています。
・バットとボールは合わせて1ドル10セントです。
・バットはボールより1ドル高いです。
・ではボールはいくらでしょう?


割と有名な問題かもしれませんが、分かっていても間違えそうなのが怖いものです。頭のなかでシステム1がぱぱっと「10セントだ」と答えようとするのを必死に我慢して、システム2を起動し、「5セント」という回答を出さなければいけません。とかく、システム1はミスをするのです。


その後も、本書では様々な(ほんとうに様々な)興味深い実験が示され、ひたすら人間の思考の限界を思い知らせてくれます。旧来の経済学では、人間は合理的な計算をして行動するものだという仮定が置かれていたわけですが、実際の人間はとてもそんな風には動いていないということが痛感されますね。


印象に残った点を全部あげてはキリが無くなってしまいますが、いくつか触れますと、まずは「平均への回帰」現象によって、教官が「良い生徒を褒めたら成績が落ち、悪い生徒を叱ったら伸びる」と勘違いをしてしまう、という話。こういった「実感」によって「褒めたらダメだ」なんて常識が広まってしまったりするのでしょうねえ。


また、「経験する自己」と「記憶する自己」の対比も興味深いものでした。著者によると、人間の苦痛記憶は物事のピークと終了時でほとんど決まり、驚いたことにその時間の長さは影響しないとのことなのです。つまり、「ピーク時の痛みが10・終了時の痛みが8で5分間」よりも「ピーク時の痛みが12・終了時の痛みが4で8分間」だと、後者のほうが記憶的には楽ということになるわけですね。無論、直に経験している最中には前者のほうが楽なのは間違いなさそうなのですが。


ここで思うのが、70歳で亡くなる人がいるとして、「69年間幸せだったが、最後の1年は不幸だった人」と逆に「69年間不幸だったが、最後の1年は幸せだった人」、どちらが良かったといえるのか、ということ。これも客観的に見れば前者のほうが幸せの総量が69倍も大きかったんだろうと言えそうですが、亡くなる瞬間の本人にとっては逆なのかもしれませんねえ……。


なんだか読んでいると「人間の思考はここまで弱く、条件に左右されやすいものなのか」と、少々絶望的な気持ちにもなってくるのですが、それを知っているのと知らないのとではやっぱり差があることでしょう。政治でもビジネスでも日常でも、普遍的に役に立ちそうな知識と感じましたね。その意味では、全人類の必読書かもしれません。半ば本気でそう思いますよ。


書店で好評な感じに並べられていたのでシステム1的直感で購入したのですが、どうやら正解だったようです。1回だけでは覚えきれていない面もあるので、もう一度読み直したいですね。