「真実の一球 ―怪物・江川卓はなぜ史上最高と呼ばれるのか」

真実の一球―怪物・江川卓はなぜ史上最高と呼ばれるのか

真実の一球―怪物・江川卓はなぜ史上最高と呼ばれるのか

「高校時代の江川はすごかった」


野球ファンなら一度は聞いたことのある言葉ではないでしょうか。その豪速球の威力は凄まじく、何度もノーヒットノーランを成し遂げ、相手チームの打者がバットに当てただけで歓声が沸き起こったという伝説。


僕は江川の高校時代はおろか、プロ時代もまともに覚えてはいません。それだけに、こういう話を聞くと興味とともに、見られない悔しさが湧いてきます。どうやら著者もその思いは同じだったようで、高校時代の江川を見られなかったからこそ、それにできるだけ迫ってみようという思いで書き始めたのが本書ということです。だから、この本には江川の幼年時代も大学時代もプロ時代もありません。ひたすら濃密に、作新学院江川卓の実像を追っていくのです。


江川本人のコメントもありますが、それよりも重点はチームメートや対戦相手から見た江川像に置かれます。相手打者のコメントは「とにかくすごかった」とか「速くて見えなかった」といったものばかりで、判で押したような評価になるのが逆に江川の凄みを際立たせますが、そうは言っても文章と言葉だけではよく分からないというのも正直なところ。興味深いエピソードで読ませる反面、迫れるようで迫れないもどかしさもありましたね。


むしろ、添付の登板記録のほうが数字だけで素直に江川を表現しているのかもしれません。防御率0点台は当たり前。奪三振率は15とか16とか信じられないレベルの数字が並びます。確かにこれは怪物としか言いようがありません。


「高校時代の江川は160キロ投げていた」なんて話もあります。従来、これは半ば神話のようなものでした。まさか高校生が160キロ出すなんてありえないだろうという暗黙の了解があり、そのまさかを実現していたからこそ江川はすごいという含意があったわけです。ところが去年、本当に160キロ投げる高校生が現れてしまいました。では大谷は江川に勝るとも劣らないのか、というと、成績的にも評判的にもそこまでではないようです(もちろん大谷は超一級の評価をされましたが、本書で書かれる江川フィーバーとはレベルが違います)。時代が進み、高校生打者のレベルも違うのでしょうが、少なくとも江川が別次元のすごいボールを投げていたというのは間違いなさそうです。


それにしても、「百聞は一見にしかず」。沢村栄治のように、見られないからこそロマンというのもありますが、一番速かったといわれる高校2年の頃の投球が、センターカメラからの映像で残っていたらと思わずにはいられませんね。


そしてまた、本書ではほとんど触れられていませんが、その怪物の輝きが高校時代がピークであったように語られてしまうのはなぜか。その点も非常に残念なところです。酷使による疲労なのか、人並み外れた豪速球の反動なのか、それとも逆に、10代の若さだからこそ投げられたボールだったのか。


できればいつか、江川を同時代で見た人が「江川を超えた」と口をそろえて評価するような剛球高校生ピッチャーに出てきてもらいたいものですね。そしてもちろん、その選手にプロでも長く大活躍してもらいたい。江川に間に合わなかった世代としては、そんなふうに思ってしまうのです。