「二軍監督」

二軍監督

二軍監督


古賀英彦」あるいは「ハイディ古賀」と聞いて、パッと分かる人はかなりの野球通でしょう。実際、僕は分かりませんでした。ただ、ダイエーでヘッドコーチを務め、近年ではロッテの二軍監督をしていたヒゲのおじいさん、と言えば「ああ」と思い当たる方も多いんじゃないでしょうか。あのダンディなヒゲはインパクト十分でしたから、僕も、名前は知らないまでも見覚えはありました。


本書はそんな古賀さんの半生を追った伝記的な一冊となります。タイトルが「二軍監督」ですからもっと二軍の選手とか試合とかの様子が書かれるのかと思ってましたが、さにあらず。どちらかと言うと若き日からの古賀さんの野球人生に焦点を当てた作りとなっていました。しかしながら、古賀さんはプロ野球選手として特筆すべき成績を残したわけではありません。通算で2安打のみの選手だったのです。果たしてそんな彼の野球人生が読んで面白いものなのか?


……これが面白いのですよ、ものすごく。


とにもかくにも波乱万丈。「日本の野球人の中に、これほどダイナミックな人生を送ってきた方がいたとは!?」と驚嘆させられました。


子供の頃に野球を始めた古賀さんは、高校で成績を残して東京の大学へ向かいます。まあ、ここまでは普通。すごいのはそこからで、慶応大学に落ちてしまい、地元に戻るに戻れなくなって数日間ホームレスに。そこからキャバレーに拾われて半年バイト生活をしていたというから、いきなり異色の経歴です。一体、今のプロ野球選手に元キャバレー店員なんて人がいるでしょうか?(いや、昔でもいないでしょう)


それでもなんとか秋に近畿大学に入ることが出来、大学でも活躍して巨人と契約。しかし、巨人の選手層とプロの壁に阻まれ、戦力外となってしまいます。まだ若かったので、通常なら日本の他球団に活路を求めるところ。しかし、古賀さんの行動はここでも一味も二味も違いました。なんと、いきなり渡米してマイナーリーグに挑戦するのです。ちょうど前年にマッシー村上の活躍があった影響とのことですが、野茂のメジャー挑戦より30年前。今よりアメリカがはるか遠かった時代のことですから、彼の豪胆さには恐れ入るばかりです。


マイナーでは良いところまで行ったものの、怪我で挫折。さらに、参加したグローバルリーグも運営自体が倒れ(このグローバルリーグの話も、それだけでずいぶんすごいのですが)、選手としての道は諦めた古賀さん。今度はアメリカでレストラン経営を始めます。これが当たって地元の名士に。元野球選手がいきなり外国で経営成功するんですから、ますますもってすごいですが、安定は古賀さんには似合わないのか、調子に乗ってラスベガスで遊び、2年で店を潰してしまいます。良くも悪くも日本人離れした豪快さ。このへんになると読む方は恐れ入るよりありません。


日本に帰ってきた古賀さん、日米の野球経験を生かして外国人スカウトや通訳を務め、日本球界でもあらためて知られていきます。しかしここで再び野球生活はアメリカへ。1990年、なんと、1Aとはいえマイナーリーグの監督に就任することになったのです。日本人がアメリカのプロ野球チームで監督をするとは、未だに古賀さんの他にはいません。こんな大きな出来事なのに、今まで知らなかったとは。


3年間そこで監督を努め、上位にこそ入れなかったものの、若手育成や采配の力を磨いた古賀さん。帰国後は上述のとおり、ダイエーのヘッドコーチや二軍監督、さらにロッテの二軍監督を歴任。齢70を過ぎた今も、NPBからは離れたものの、クラブチームの監督を務めているとか。


全編を貫く素晴らしいバイタリティと野球愛。「こんな人生の過ごし方があるのか」と、簡単には真似できないとしても、教えられた一冊でした。