「キリスト教成立の謎を解く―改竄された新約聖書」

キリスト教成立の謎を解く―改竄された新約聖書

キリスト教成立の謎を解く―改竄された新約聖書

捏造された聖書」「破綻した神キリスト」に次ぐ、聖書学者バート・D. アーマン先生のキリスト教本第3弾。1年以上前に出ていたとは知らずうかつ。今回も興味深い内容で、350ページがあっという間でした。


前作及び前々作で著者のキリスト教や聖書に対する考え方は大体示されていましたが、今回はあらためてテーマをキリスト教の成立にしぼり、まとめ直しています。


まずは聖書の検討と解説から。聖書はイエスが死んでから数十年後にまとめられたものとされていますが、その中心をなすのがマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの4つの福音書です。しかしこれらは、イエスの弟子であった使徒の名前こそ付けられているものの、彼ら自身によって書かれた可能性はかなり低いということ。ましてや、その内容は伝聞に伝聞を重ねた物語であって、相互に矛盾しているということを説明します。


たとえば日本でも有名なイエスの誕生シーン。多くの人は、旅先のベツレヘムで宿がなくて馬小屋で泊まったマリアとヨセフのもとに、東方の3人の博士がやってきて贈り物をするシーンを思い浮かべるのではないでしょうか。しかしこれは、マタイとルカの話をごっちゃにしたものです。実は、「マタイ」にはマリアたちはベツレヘムの家に住んでいたとあり、「ルカ」には祝いにやってきたのは博士ではなく羊飼いであると書かれているのです。さらに、その後イエスたちがナザレに向かう経緯も異なっていると。


著者はこの点について、イエスがナザレ出身であることは明らかだが、旧約聖書には「メシアはベツレヘムであらわれる」という記述があるため、無理にでもベツレヘムで生まれたことにしたのであろうと推測しています。他にも著者の指摘箇所は多岐にわたり、専門だけある切れ味の鋭さをみせてくれます。


いずれにせよ、これほど明らかな矛盾がおよそ2000年にわたって大した疑問もなく読み継がれてきたとは、驚きます(もちろん、神学者とかは分かっていたんでしょうが)。


さて、そんなあてにならない聖書ですが、それでも最重要資料ですので、そこから冷静にイエスの実像を著者は探っていきます。本来のイエスユダヤ教の改革的な一宗派で、終末論的な思想だったことは、最近では割と知られているような気もしますが、当時はあくまで現実世界に神の裁きがくだるという話でした。しかし、イエスの死後、時が経つうちに思想が変化し、神の裁きは死後の話ということになっていきます。そしてまた、数々の聖典がつくられ、どれを正統と認めるかで争いながら、4世紀頃にはあるていど現在の聖書の組み合わせができてきたとか。


こうしてキリスト教と聖書の成立とを見てきた上で、著者は最後に、これらの知識は直接信仰を妨げるものではないと言います。キリスト教神話や聖書に誤りは多いにしても、そこから真実を選びとることはできる。著者自身は棄教した人ですが、同じ聖書学者の中にも立派な信徒はたくさんいると。


……ただ、非クリスチャンの日本人の立場から見ると、ここまでキリスト教の根底を崩した認識をした上で、なお信仰を続けるというのは一体どういうことなのだろうかと、なかなか理解しにくい部分もあります。そこがキリスト教文化圏の人と違うところなのですかねえ(まあ、仏教でも、どこまでが本当にお釈迦様の言葉なのか分からない、というのはありますが)。


ひとつ言えるのは、「聖書は全て正しい神の言葉だ」といった原理主義的な捉え方は誤りとみなしてまず間違い無いということでしょう。矛盾をなくそうと、かなり無理な解釈をするところもあるようですが、「そんなことはありえない」という著者のシンプルな言葉に賛同します。