うみねこのなく頃に 第21話「Episode4-3 prophylaxis」

ひどいクラスメイトとひどい母親。魔法の友は孤独な少女が生み出した幻影。悲しくもどこか切ないエピソードでした。もはや六軒島の事件はどこへいったのか分からなくなってしまいましたが。


勉強そっちのけで騒ぐ煉獄の七姉妹たち。楽しそうです。でも、そのおかげで縁寿のテストは35点。意外と成績が悪いのに驚きますが、それにしたって、「クラスの平均点を下げた」と難癖をつけ(いや、そもそも理由なんて何でも良かったんでしょうね)、縁寿をいたぶるクラスメイトがひどい、ひどすぎます。なんかねえ、こういうのはフィクションの中だけだと思いたいんですが、やっぱり現実にもあるんですかねえ……。イジメなんかして何が楽しいのかさっぱり分からないのですけど。


圧巻はここから。縁寿の命令に七姉妹が動かず、否定され消えていく場面でした。クラスメイトの横暴の前になすすべも無く、「家具」への命令では現実を変えることが出来ない。その認識と怒りが友人達の存在そのものを消してしまったんでしょうね。でも、最期のマモンの言葉と表情は、確かに縁寿を想う友人そのもので、単に妄想で片付けたくは無いんだなあ。


真里亞についても同じ。楼座は悪人ではないんでしょうが、と擁護したいとこですが、ここまで来るともう悪人の域かもしれません。ついに復讐を決意する真里亞。86年にはもう、心は母親から離れていたということか。それとも、まだ揺れ動いていたのか。第2章の親子愛を思い返すと、なかなかに複雑なものがあります。



さて、せっかくですので煉獄の七姉妹についてもう少し。縁寿が呼び出した彼女たちは、ベアトリーチェや絵羽に使役されていた時とは明らかに違うように見えます。少なくとも、次々と人殺しをするような残忍さはありません。むしろ縁寿よりも冷静で、彼女の怒りを留めようとさえしています。


これは結局、「煉獄の七姉妹」という元概念は同じでも、呼び出した者によって形態は異なるということなのでしょうね。縁寿が望んだのは友人達であって、殺人マシーンではなかったということ。また、マモンが、「自ら手を汚す覚悟ならサポートする」というようなことを言っていましたが、これも重要そうです。結局、幻想には直接人を殺すことは出来ない。だとしたら、ベアトリーチェの殺人はやはり誰かが実行したものにほかならないのでしょう。


ラスト。自らの幻想を認め、友と再会した縁寿。ある意味現実逃避の肯定ともいえますが、本人が良ければそれで良いのではないかという、実は結構刺激的な問いでもありました。


余談ですが、オタクとか読書好きな人は妄想力というか想像力が強い人が多いと思います。特に子どものころから中高生くらいまでは。僕も良く物語とかの想像の世界に浸っていましたから(今でもそんなようなものですが)、縁寿の感覚には親近感もてますね。ただ、さすがに七姉妹のように複数同時、人格もってにぎやかに動きまわるレベルは難しい。縁寿の「魔法」がうらやましいことです。