CLANNAD AFTER STORY 第22話「小さな手のひら」

うまく言葉が整理できないので、さっくりと書きます。


なんだか物足りない


2期1年近くに渡って続いてきたアニメCLANNAD。たくさんの感動を見せてくれた作品の最終回としては、あまりにも終わった感じがしない、煮え切らない。そんなラストでした。原作プレイヤーですらこうなのですから、アニメのみの方は、よりそんな印象があるのではないでしょうか?


幻想世界の少女とロボットは光となって消え、朋也は再び渚と巡り会う。


「あなたを、お連れしましょうか。この町の、願いの叶う場所に」


朋也が気づくと、そこには無事出産を終えた渚の姿。それからみんな幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。



……いや、それじゃあ前回までの汐と朋也はどうなったの?


原作でも、ここに引っかかった人は多いと思うんですよね。渚が助かる世界は、それはそれでことみのいう「別の世界」と言うことで良いでしょう。でもそこに暮らす彼らはやっぱり別人なんです。17話以降の、苦労を乗り越えた朋也と、ようやく父親と近づけた汐ではないんです。そこがさっくりと無視されちゃうというのがねえ……。


また、何回も繰り返しプレイするゲームである原作に比べ、一本道のアニメでは余計にその感覚が強くなっちゃってもいました。原作では、汐編が終わるとタイトルに戻ってしまうので、とりあえずプレイヤーは気持ちをいったん切ることになります。でもアニメではそれがない。だから「小さな手のひら」が流れているとき、原作ではなんだかんだ言っても感涙でしたが、アニメでは「それより汐はどうした。あっちの世界はどうなった?」という思いばかりが強くて、素直に渚達を見られなかったです。


ただ最後、風子の見つけた少女が幻想世界の少女であり、また汐でもあるように明確に描写されていたのは、ちょっと希望を持たせるアレンジでもありました。あの風子が、前回までと同じ世界の風子だとすれば、汐は、渚と同じようにあの場所にたどり着くことで助かったという解釈も可能なわけですから。汐が死んだというのは明示されてませんからね。せめてそう考えさせてくれないとつらすぎるというものです。


とまれ、番外編をのぞけばひとまず最終回。トータルで見れば名作。ただしラストがもう一歩。結局、原作版の感想とほとんど同じになっちゃったなあ……。


ついでなので書くと、「3人での幸せな花畑の光景から朋也が目覚めると、そこは病院。汐は奇跡的に助かり、朋也ともども入院していたのだった(病院なので椋の出番もあり)。窓の外には光の玉が舞っていた。やがて回復し、手をつないで自宅へと帰る二人。それをかつての友人達が見守るのだった」みたいなラストを僕は期待していました。結局、夢想は妄想でしかありませんでしたね(これだと幻想世界の存在が変になっちゃうかもしれませんが、正直良く分かっていませんので細かいことは気にせずに)。


さらについで。SSではガテラー星人さんの「その世界の終焉まで」が、シリアスに僕の感じた疑問を書き出しておられます。また、汐編をもっと深く味わいたい、なかんずく、杏が好きだという方は、珠玉の杏アフターである八岐さんの「Uusioperhe」(SS散乱場からたどれないので、直リンク失礼)が必読かと思います。すばらしいですよ。