「イエス・キリストは実在したのか?」

イエス・キリストは実在したのか?

イエス・キリストは実在したのか?


ムスリムである著者がイエスについて書いたということでアメリカでは話題になったらしい一冊。日本のタイトルは(例によってというべきか)あおり気味ですが、イエスとは何者だったのかということを真面目に追求した読み応えのある本です。ジャンル的には史的イエス研究の一種と言えましょう。


この手の本は好きなので、イエスの生涯自体のおおまかな予備知識はあったのですが、本書の優れているところは、当時のユダヤ人社会が置かれていた状況や社会構成について詳しく述べられている点です。ユダヤ人がたどってきた歴史と、ローマ支配下での抵抗、ローマ側の懐柔と弾圧。特権階級の癒着。そうした情勢の中で、台頭する革命機運やメシア(救世主)願望。イエスが生まれたのは、良く言えばこうした熱気あふれる時代だったわけですね。


貧しい村の大工であったイエスは、洗礼者ヨハネの有力な弟子として頭角を現し、既存の体制を痛烈に批判するグループを率いることになります。それがどの程度軍事的な反乱思想だったのか、あるいはあくまで中心は宗教改革・政治改革だったのかは本書でもいまいち判然としませんが、いずれにせよ、反逆者として十字架刑を受けると。


やがてイエスの教えは弟のヤコブと、「回心」したパウロとが広めていくことになりますが、エルサレムがローマによって滅ぼされることによって、ヤコブの一派は壊滅し、ローマに布教したパウロの思想が大きく「キリスト教」を形作ってきます。邦題風に言うならば、「イエスは実在したが、キリストではなかった」という話ですね。まあ、この辺は普通といえば普通の説明なので、それほど新しい感じは受けませんでした。


しかしこうしてみると、やっぱりキリスト教パウロの宗教じゃないかと思えてしかたがないですね。イエス自身は短期間で処刑されるほどの影響力を持ったのですから、間違いなく人望と情熱のあった人ではあったのでしょう。ですが一体、今の聖書やキリスト教にどれだけイエスの思想が残っているのでしょうか? 


それと、やっぱり気になるのがイエスの起こしたという数々の「奇蹟」と「復活」です。奇蹟はまあ置いとくとしても、復活というのは何だったのか。信徒たちは最後までイエスは復活したという信念を曲げず、殉教したといいます。まさか嘘のために死んだわけではないでしょう。彼らの中では「復活」は真実だったのです。ここが理解し難いところで。以前読んだ「イエスの復活―実際に何が起こったのか」(この手の本好きだなあ、自分。)では、信徒たちは幻覚を見たのだという、身も蓋もない結論を出していました。それがおそらく合理的で現実的な答えであるのでしょうが、ひょっとして、イエスがそれこそ1万年に1人ぐらいの超回復特殊体質者で本当に生き返っていたりしたらすごいなあ、なんてふと思ったりもしました。でも、仮にそうだとしてもそれで彼が神の子であったという証明にはなりませんけどねえ。


それにしても、上でも触れたように著者はムスリムであるわけですが、これだけ宗教と離れたイエス像を著述しておいて、自身は同じくアブラハムの流れを組む一神教を信仰しているというのは不思議な気がします。僕にはやはりどうも、聖書の人格神というのはピンときませんねえ。