「虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか」

虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか

虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか

19世紀初め、西欧による仏教の「発見」と、その受容についての混乱を書いた一冊です。


まず、西欧が仏教を知ったのが1,800年台という、比較的新しい時期であったことに驚き。もちろんそれまでも「アジアには異教がある」という認識はありましたが、各地によって仏陀の呼び方も信仰の形式も異なっていたため、同じ教えに基づくとは気づいていなかったとか。


さらに、仏陀という名前は明らかになっても、それはアニミズムによる神であると考えられたり、さらにはメルクリウス(マーキュリー)がギリシャから伝わった概念であるとされていたりもしました。それがようやく「仏陀とは実在した人物であった」ということになったのが19世紀だったのです。


仏陀は当初、偉大な哲学者であるという好意的な受け取り方をされてもいましたが、仏教の教えが中途半端に伝わることによって、西欧の知識人を困惑、さらには恐怖させることになりました。キリスト教中心、対抗するのも同じ一神教イスラム教だった当時の世界において、神を持たず、涅槃を求める教えが「虚無」と理解されたのです。そして、名だたる知識人が「仏教=虚無を説く非人間的な教え」を前提に、批判したり、あるいは擁護したりもする混乱が生じたのでした。


もっとも、実際に恐怖されたのは当時の西欧を覆っていた空気であり、仏教はそれを語るダシにされているだけのような様子もありますね。このあたりの事情は今から見るとおかしくもあります。ただ、痛感させられるのは当時の西欧における人種差別的発想。「アジアの人々は気力が無いから仏教みたいな弱い宗教に浸るのだ」というような主張が平気で行われ、さらには「人間性が根本から違う」なんて言われたりもします。


まあ、当時は西欧全盛の時代ですから、多少思い上がっちゃうのもしょうがない面もあるんでしょうが、こうもあからさまだと、現代にもその流れがまだ残っちゃってるのかなあ、と思わされたりもしますね。


結局、研究が進むにつれて「涅槃と虚無は違う」という結論になって議論は落ち着くわけですが、異文化理解の難しさを考えさせられる本でした。そしてまた、日本は仏教国と言われていますが、果たして「涅槃とは何か」と問われて答えられる人はどれだけいるだろうか、とも考えてしまいました。いや、僕も怪しいんですけどね。