「科学を捨て、神秘へと向かう理性」

科学を捨て、神秘へと向かう理性

科学を捨て、神秘へと向かう理性

ジョン・ホーガンは、「科学の終焉(おわり)」において現代科学が複雑精妙になりすぎたゆえの閉塞・停滞に陥っていることを指摘したジャーナリスト。その彼が向かったのが神秘体験の世界でした。


宗教に関わらず、古来より多くの(と言っても、少数派ではありますが)人が体験してきたという、神秘的な一体感覚。Wikipedia風に言えば「変性意識状態」。抜粋すると

変性意識状態は「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い、この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる。


本書でも、体験した人の言葉が載っています。「人間の魂は永遠だ」「この世の基本原理は、われわれが<愛>と呼んでいるものだ」 聞くだに魅惑的な感覚です。仏教で言うところの見性体験ってやつですね。


一体この感覚はなんなのでしょう? 人間の魂に組み込まれた真理との出会いなのか? 一部の人の特殊な脳内の事象なのか? 瞑想で得られる神秘体験と、ドラッグで得られる神秘体験は同じものなのか、否か。はたまた機械で経験することは可能なのか? 著者は情熱とフットワークの軽さで各ジャンルの第一人者に会い、さらには自ら合法(?)ドラッグを摂取して果敢に挑みます。


神秘体験は僕も興味のあるところだったので、面白く読みました。個人的には、おそらく何らかの形で脳内の配線がつながると、そういう世界が見えるのだと思います。本書の中には神秘体験をそのまま神の証明として扱うような人もいますが、その辺まではちょっとついていけませんね。本書に限ったことでもないのですが、アメリカの人はどうしてあんなに神という存在にこだわるのでしょうか? いまひとつ実感できないところです。


本書でちょっと残念だったのは、以前読んだ「脳のなかの幽霊」で紹介されていた「電気的に脳を刺激して、神秘体験をさせる機械」の効力が、実際には大したことがなかった点ですね(この辺も、実際に自分で受けに行く著者の行動力はすごいです)。まだ人工的神秘体験の世界は遠いようです。


結局著者は苦闘しつつも自らは神秘体験、というほどの感覚は得られずに終わるのですが、最後に、「果たして人類みんながブッダのように悟ったら、そんな世界に住みたいだろうか?」と問いかけます。仏教の理想は多分そうなのでしょうが、それは人類の進歩の止まる瞬間なのかもしれません。僕もSF的にそんな機械ができる日を想像したりもするのですが、それが良いことなのかどうなのかは、すぐには分かりませんね。


とにもかくにも、この現象、さらに科学的に解明が進むことを期待しています。