「捏造された聖書」

捏造された聖書

捏造された聖書

これは邦訳タイトルが間違ってますね。素直に「誤写された聖書」、せいぜい「改ざんされた聖書」くらいにしておけば良かったのに、妙に陰謀論っぽい怪しげな雰囲気にしてしまってもったいないというものです。ただ、訳者も書いているように内容は真面目に学問的で、興味深い良書でした。


著者は若い頃、キリスト教原理主義の会にはまっていたそうです。「聖書は無謬なる神の御言葉である」というのがその会の教えでした。しかし、ここには大きな問題があります。それは聖書のオリジナルはもはや存在しないということ。今使われているのは写本、それも写本の写本のそのまた写本の写本の写本の……(以下略)という有様です。欧米で親しまれているのはさらにその翻訳。仮にオリジナルが神の言葉だとしても、これでは現代聖書のありがたみは、ずいぶんと怪しいものではありませんか。著者は信仰熱心であるがゆえに――そしてたぶん頭も良かったからでしょう――この問題を重大なものととらえ、「本文批評」という研究にのめりこんでいきます。書記たちの凡ミス、あるいは意図的な訂正によって変えられてきた聖書の文面。果たして何が正しいのか、「オリジナル」は復元できるのか……。本書では驚くべき研究結果をユーモアある文体で紹介してくれます。


一番印象的だったのは日本人でさえ良く知っている「姦通の女」エピソードがオリジナルでは無かったということ。「あなた方の中で罪を犯したことの無いものがまず石を投げなさい」というあれです。いかにもイエスらしい機知のある言葉のようでしたが……。この調子では「カエサルのものはカエサルに」も嘘ということになるんじゃないかと、心配になってくるほどです。


キリスト教に縁遠い日本人としては聖書という一書物を神聖視までする気持ちはいまいち分かりませんが、一つの文化的大著としてみれば面白いです。この本を読むと、なおさらその思いを強くしますね。