「破綻した神キリスト」

破綻した神キリスト

破綻した神キリスト

以前感想を書いた「捏造された聖書」(感想が2年も前だということに驚いた)の著者による新刊ということで飛びつきましたが、いきなり冒頭で、著者が棄教したことが書かれていて驚かされました。「捏造された聖書」は、「聖書は誤訳や誤写があるので、絶対のテキストではない」ことを学術的に語ったものでしたが、著者が敬虔なクリスチャンであることはゆるがないように見えました。ところが、その後著者の思想にはさらなる進境があったようです。


「本当に神がいるというならば、この世にこれだけ苦しみが満ちているのはなぜなのか」


これが、最終的には神を信じることが出来なくなった著者の疑問でした。若い頃は熱心なファンダメンタリストであったという著者。おそらく、普通の人が何となく流してしまうようなところでも、熱心に、真面目に考え抜いてしまう性格なのでしょう。信仰が厚いからこそ聖書を研究し、研究したからこそ、疑わしさに気づいてしまう。皮肉なものです。


本書はこの、著者のみならず古今の多数の人々が抱いてきた疑問にたいして、聖書がどのように答えてきたかを分析し、また、そこに現れる神の姿を信じることが出来るかどうかを問うていきます。


これまで聖書や、神学者達は、何とか理屈をつけようと苦闘してきました。「苦しみは神の罰である」「苦しみは神が与えた試練である」から、「苦しみは悪魔のせいで、今に神の力で救われる」「苦しみの意味など人には分からない。神の御心を知ることは出来ない」 しかし、どれも納得できるものではないと著者は言います。もっともなことです。


「神が人に自由意志をお与えになったから、戦争や犯罪といった悪いこともおきる」


著者(大学教授)の問いにたいしてはこう答える学生も多いそうで、どうもこれが西欧社会の割と一般的な見方のようなのですが、「じゃあ天災や疾病はどうなのか」と著者が問い返すと黙り込んでしまうそうです。


そもそも、新約はまだしも旧約聖書で語られる神がずいぶんと傲慢で残酷なことは、日本人にも知られていることでしょう。典型的なのがノアの洪水ですね。あと、アブラハムに、息子のイサクをいけにえにささげるように命じた話なんかもひどいです。著者は、どう理屈付けしてもこの神の行動は正当化できないと、痛感するのです。


まあ正直、この辺の感覚は非キリスト教徒である日本人の僕にはいまいち分かりにくいところもあり、「そもそも聖書にかかれるような神なんているわけが無いじゃないか」の一言で終わってしまう感もあるのですが、著者の誠実な苦闘は真摯に伝わってきましたね。そして、欧米の人にとってのキリスト教の浸透度の深さ、影響度も、漠然とではありますが、感じられるものがありました。


最終的に著者は聖書を離れます。個人的には、著者にはぜひ仏教に触れてほしいと思いました。肯定するにせよ否定するにせよ、その論評本を読んでみたいものです。



ところで、本書ではイエスの復活の意味について詳しく書かれていて勉強になりました。僕はただ、「復活というのはイエスの奇跡の一貫として書かれたお話だろう」と思っていのですが、それだけではなく、「黙示録思想」と関係があるとのこと。つまり、「審判の日には死んだ人もよみがえって裁きを受ける。まずその先駆けとしてイエスがよみがえった。裁きの日はいよいよ近い」と、こういうアピールだったんだそうです。なるほどぉ。


なお、本書の原題は「神の問題−聖書はどのように我々の最も重要な問い「我々はなぜ苦しむのか」の答えに失敗してきたのか−」のようです。邦題は全然かけ離れてしまってますが、かなりキャッチーであることは認めなければなりますまい。

アオイシロ日記

鳴海夏夜ルート・ナミルート終了




まずは夏夜ルートを終了。ええと、あんまり語るところがないなあ。悪いわけではないんですけど、謎的にはすでに解明されていた部分が多いですしね。そもそも夏夜の活躍が根方宗次を打ち破るまでで、バロウリュウを倒したのも扉を閉じたのも、その宗次であったというこの展開。活躍の薄さは否めません。ともあれ無事に夏夜が戻ってきて良かった。ラストシーンはやっぱりぐっと来ました。


で、ようやく封印が解けてナミルート進めました。……どうもこのあたり、封印の順番が不透明で不親切ですね。ナミルートがクリアできずに延々繰り返した時間を返してほしいものです。ただ、話自体はやっぱり良かったです。もうほとんどラストを見るだけでしたけど、感動的でした。


他のルートをやっていたのでしゃべるナミを久々に見た気がしますが、やはり彼女にはメインヒロインらしい魅力がありますね。際立った容姿もさることながら、「子どもっぽくてしゃべれない」→「たどたどしくしゃべる」→「梢子と同年代的にしゃべる」という萌えキャラ三段階変身の大技を備えています。これにはやられるってものですよ。


最後に梢子とナミが剣をもって封印するシーンは燃えました。ナミが冬休みに、私服姿で会いに来る姿に萌えました。「鈴木」ってどこの名字かと思いましたが、良く考えてみれば和尚さんのものですか。根方の家で一人暮らしか、あのお寺で暮らしているのでしょうか。どっちにしても身近に同年代の友人もいなさそうで、寂しいかもしれません。


このルートでは書かれてませんでしたけど、ナミと保美の姉妹の再会もあったんでしょうね。良きかな良きかな。