パリで同時多発テロ……

ISが犯行声明、仏パリ連続襲撃事件(毎日新聞)


あまりに理不尽で、あまりに悲劇的としか言いようが無い暴力。金曜の夜を楽しんでいた人々は、まさか自分が今日死ぬことになるなんて、想像すらしていなかったでしょう。その無念と遺族の悲しみはいかばかりのことか。心より哀悼の意を表します。


犯行はIS、いわゆるイスラム国の仕業であるとほぼ確定しました。その犯行声明はどこまでも独善的で、もはや邪悪としか言いようがありません。何が「慈悲深いアラー」でしょうか。こんなことに名前を使われては神様も嘆いていることでしょう。いや、それよりまず、善良なムスリムたちが嘆いているでしょうか。いずれにせよ、ISの非道はより一層明らかになりました。わざわざここまで敵を作るような真似をするのは、正直、戦略的には不思議ですらあるのですが、彼らにとっては戦略よりも理念なのでしょう。


それにしても、こうして宗教がらみの犯罪が神の名において行われているという実状を見ると、「人類は神の概念からの脱却を目指すべきではなかろうか」ということを考えてしまったりもします。そりゃキリスト教にしろイスラム教にしろ、色々良いことをたくさん言っていて、伝統的な日常生活の知恵なんかも詰まっているのでしょうが、根本に「神様の正義」があるのが、現代の科学観から見ると迷信としか思えないわけで。もしかしたら今は過渡期で、将来「21世紀は未だに神様とか信じている人がいて、事件が起きてたんだよ」なんて言われるようになるのかもしれません。


ただ、僕も含めて色々なことに運命や何かの意志を感じるというのも人間の性。宗教を禁じたはずの社会主義国家で、結局共産主義そのものや指導者こそが崇拝の対象となってしまったことを見ても、何かを神格化して崇めたいという人間の欲求は無くなりはしないのかもしれませんが……。


いずれにせよ、このような悲劇はもう御免です。