「説得―エホバの証人と輸血拒否事件」

説得―エホバの証人と輸血拒否事件 (講談社文庫)

説得―エホバの証人と輸血拒否事件 (講談社文庫)


エホバの証人」といえば、世界的に有名なキリスト教系(少なくとも彼らの主張では)の新興宗教。伝道に来る信者と話したことのある方も多いでしょう。僕も一度、来られたおばさんと聖書の解釈がどうとか話してみたことがあるんですが、付け焼き刃の聖書知識ではさすがにあんまりうまくいかないのでやめました。「ものみの塔」とか「目覚めよ」とか、冊子はある意味面白いんですけどね。人間と動物が草原で同居しているような絵のイメージが素晴らしい。


さて、そんなエホバの証人ですが、その教義の中でも有名なのが「輸血拒否」。1985年、交通事故に合った10歳の少年が、信者である親の輸血拒否の結果亡くなるという事件がありました。信仰と医療はどちらを優先すべきか、なぜ彼らは輸血を拒否するのか。そして、当の少年は何を思って死んでいったのか。本書は、外側からではなく、エホバの証人共同体の内側に体当たりで飛び込んで取材した、力作にして傑作のルポです。


読んでみての感想は、「ああ、エホバの証人たちは基本良い人だけど、やっぱりどこかずれてるんだなあ」というものでした。部外者が「輸血拒否の結果死亡」なんて話を聞くと、何を考えているんだか分からない、という感想が一番に出てきますが、本書を読むと、そこにはそれだけの宗教的な根拠があり、苦悩があり、決断があることが分かります。それと、組織内の居心地がほのぼのとして良さそうなことも。「神の教えのために」に活動する仲間たち、教団内では「兄弟」と呼び合っているそうですが、同じ教義を信じて、同じ目的のために行動するというのは魅力的な場所なのでしょう。もし、自分が幼い頃からエホバの証人コミュニティにいれば、なるほど、たとえ命を失っても輸血拒否する、という決断をするかもしれない。そう思わせるものはありました。


ただ、そうは言っても、聖書の同時解釈を絶対視する教義はやはり普通に考えると疑問なのであって、だいたい、教義云々以前に子を見殺しにするのを神が推奨するだろうか? そう思えてなりません(まあ、旧約聖書の神はかなり冷酷だったりしますが、それはそれとして)。実は輸血拒否した父親も最初は聖書に対しての疑問が多々あり、何年もかけてようやく正式な信者になったといいます。常識を超えて信仰の世界に入るには、どこかで「跳ぶしかない」と著者は表現しています。多分、僕は跳べない部類の人間でしょう。そうしたいとも思いませんが。


迫力があるのは、医師たちに話を聞き、当時の病院の状況を再現したパート。頑なに輸血を拒否する両親に対して、医療スタッフたちからは罵声が飛んだといいます。さもありなん。そして、当時はやむを得ず輸血を諦めた医師も、今度同じことがあったら強行輸血の決意を固めていることにも頷かされました。


それにしても、当時若干ハタチそこそこの学生ながら、自ら研究生としてエホバの証人内部に入って取材するという情熱、そしてこれだけの本を書き上げる文章力。著者の熱意には脱帽です。講談社ノンフィクション賞を受賞したというのももっともですね。ただ、取材のために入ったということは、スパイみたいなことをしていたとも言えるわけで、その後のエホバの証人の知り合いたちとの仲が気になってしまうところでありましたが……。


95年のオウム事件があり、また、世界的にもカルト教団への警戒が強くなっている中、今日もエホバの証人は活動しています。オウムなどと違って、直接的に社会に害を与える事件はない印象ではありますが、かといって素直に肯定する訳にはいかないとも思います。「ハルマゲドンがもうすぐ来る」という終末論的な予言が根底にあるのは、やはりどうかと。おまけに、その「もうすぐ」がずっと外れてますし。