「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」

特別好きというほどではないのですが、司馬遼太郎さんの作品はいくつか読んでいます。「坂の上の雲」とか「関ヶ原」とか。読みやすい文体と生き生きとしたキャラクターはグイグイ引き込まれるものがあり、さすがの国民的作家と感じさせられます。ただ、読んでいてなんとなく違和感を覚えてしまったりもするんですよね。


「で、一体どこまでが史実でどこまでがお話なの?」と。


たとえば他に誰もいない場所で2人が話し合ってたりすると、その人が日記にでも残していない限り、その言葉を聞いている人はいないわけですよね。それなのに、もっともらしくかっこ良いセリフがあったりすると、「なんでそれ知ってるんですか、司馬さん」と言いたくなってしまったり。


いやもちろん、司馬作品は歴史ドキュメンタリーではなく小説であり、多分にフィクションであるというのは承知しているのですが、司馬さんの上手さで、いかにも書き方が「事実です」という雰囲気なんですよね。その辺りが判然としないのが、好きになりきれない要因だったわけです。


本書は、そんな司馬作品の虚構と現実に鋭く切り込んで検証した著者の労作です。タイトルにもある通り、吉田松陰高杉晋作坂本龍馬の3名に焦点を当てて追っていますが、司馬さんは実に作家だったのだなあ、とあらためて感じさせられました。主人公たちを持ち上げるために、細かいところのみならず、大きな部分もかなり創作が含まれているのだという実情を紹介。坂本龍馬が一喝して薩長同盟を実現させたという有名な場面も、実際は龍馬が果たした役割もよく分かっていないのだとか(同盟に無関係ではなかったにしろ)。


無論、上述のように司馬作品は小説であって、面白い小説として読めばそれで良いわけなんですが、司馬作品があまりに有名になってしまったために、それがどんどん事実のように広まっていってしまったということもあるわけで。政治家や社長とかでも尊敬する人物に龍馬とかが出てきたりしますが、それはおそらく司馬小説の中の龍馬なのでしょう。まあ、別に小説のキャラを尊敬しても悪いわけではないのですが(むしろあり)、区別がはっきりしていないと、微妙な感は残ります。


本書は、僕が違和感を持っていた部分を明らかにしてくれて、とても興味深い一冊でした。逆に、司馬さんの小説家としての力量にも感心。せっかくなので、他の作品についても検証してもらいたいです。