「それをお金で買いますか――市場主義の限界」

それをお金で買いますか――市場主義の限界

それをお金で買いますか――市場主義の限界

「これからの「正義」の話をしよう」で一躍有名となったサンデル教授の新作。内容はまさにタイトルのまま直球で「お金では買うべきではないものが、世の中にはある」というもの。文章量的には前作ほどの密度はないものの、内容は期待通りに刺激的であり、グイグイと面白く読ませてくれました。


先の金融危機で、世界はすっかり市場の暴走に懲りたはずでした。しかし実際には、お金が幅を利かせる状況がどんどんと広がっています。たとえば、


「遊園地の行列に割り込む権利を買う」
「絶滅危惧動物を撃ち殺す権利を買う」
「他人の生命保険を買い取って、保険金を得る」


さらには、


「公共の無料演劇チケットをダフ屋が転売する」
「成績不振の子どもに、テストの点数に応じてお金を与える」
「なんでもかんでもネーミングライツとして売り払う」


等々……。日本ではまだここまでいっていないと思いますが、市場の論理の元、ますますあらゆるものが値付けされ、取引されるという実情があるのです。


通常の経済学的には、これらのことにはなんの問題もありません。むしろ両者の合意のもと、もっとも社会的効用が大きくなるのだから、有益だと主張するそうです。しかし、どこかおかしい。なにかしら嫌な感じがするというのが、多くの人の実感でしょう。ではなにがおかしいのか、それこそが著者が本書で訴えていることで、市場というのは決して道徳的に中立的な存在ではなく、市場を通すことで、道徳的に失われてしまうことがあるということです。


こうした市場主義、商業主義が世の中から締めだしてしまうものは、一言でいえば「公共的な善」であると著者は言います。その「善」がどこから来るのか、どこまでを含めるのかという点については、残念ながら論は薄めではありますが、そこは読者が考えよ、というところでしょうか。あまり道徳を強制されてもそれはそれで息苦しいですしね。


ただいずれにしても、「市場だけでは社会は良くならない」ということをあらためて思い起こさせ、認識させてくれる一冊でした。面白かったのは、「プレゼント」という行動に対する経済学的な解釈で、正当な経済学に基づくとプレゼントというのは現金がベストなんだそうです。なるほど、そうすれば好みに合わないものを贈られて困ることはないでしょう。でも、それってひどく味気ないですよねえ。選ぶ楽しみと選んでくれた愛情こそがプレゼントの本質でしょうに、経済学ではそれらは効用に算入されないのでしょうか?


また、上のほうで「日本ではまだここまでいっていない」と書きましたが、例の泉佐野市のネーミングライツ問題を見ると、この点では上をいっているかもしれません。さすがのアメリカでも、市名まで売りに出したという話は聞きませんからね。もともとよそ事ながら冗談ではない話だと思ってましたが、本書を読むとますますその思いが強まります。泉佐野市長にも読んでいただきたいものです。


それともう一つおもしろ怖かったのが、アメリカの一部の野球中継では、アナウンサーがスポンサーとの契約で、広告実況をしなければならないという話。たとえば、亀屋万年堂おかわり君のスポンサーをしてたら「さあ、打席はおかわり君ナボナはお菓子のホームラン王です」とか言わないといけないわけです(いつの時代のネタだ……)。こんな実況ではファンはやってられませんよね……。