もし劇場版AIRがこんなだったら

一昨日自分の感想文を書き終わってから各所の感想を見て回っているのですが、予想以上に不評ですねえ、劇場版AIR……。まあ、劇場版は原作の重要部分をかなり消してしまってますから、その評価も分からないでもありません。僕は先日書いたように、ちょっと性格の変わった観鈴や、一昔前的濃さの残る作画演出に感覚的に満足できたんですが、理屈で考えると相当に問題があるつくりなのは確かですし。
そこで、あらためてつらつらと考えてみました。「果たしてどうすれば劇場版はもっと良くなっただろうか」 もちろん一番簡単なのは「原作に近づける」という答えでしょうが、それでは堅実すぎていまいち面白みが無いので、あえて劇場版の再構成を前提とする方向で挙げて見ます。以下一応反転で。




1・晴子の出番を減らす
いきなりAIRの根本を否定するようなことを書いてしまいますが、劇場版のお話を観鈴と往人の恋愛物として構成するのでしたら、晴子さんの存在はどうしても中途半端になります。ここは一つ観鈴を絶対的に孤独な少女として書いておいて、そんな彼女だからこそたまたま出会った旅の青年に惹かれたという流れにしたいところ。晴子さんには適当で放任な継母役になっていただくと言うことで(……われながら恐ろしいことを書いてるなあ)。


2・裏葉の存在を消す
1に関連して、神奈も孤独であってもらわねばなりません。そのためには友人役の裏葉も不要でしょう。神奈の回りは女房も警護兵も皆冷たいという設定の方が盛り上がるように思われます。……と言うか、実際の劇場版でも裏葉はかなり出番を少なくさせられてますし、その意図はあったように思われるのですが。ここもどうも中途半端でしたかねえ。


3・「ゴール」のシーンは使わない
これは書かれている方も多いかとは思われますが、感動的である反面、それまでの流れからするといささか浮いていた感は否めないクライマックス。アナザーAIRの世界に突如原作の世界を継ぎはぎしたような不自然さがありました。よってここはカット。「青空」も使わないで良いかもしれません。ベタベタですが、海岸で往人の腕の中で静かに息を引き取るような作りで良いのではないでしょうか。



つまり「病弱で孤独な少女はいつしか古の恋物語に自分を重ね合わせるようになる。一方、世間を嫌い旅を続けてきた青年もたまたま出会っただけの彼女に次第に惹かれるようになる。そして二人は恋人になるが……(以下略)。」という展開にしちゃうわけですね。「こんなのAIRじゃない」と言われそうですし、実際そうなんでしょうが、個人的にはこれはこれで見てみたいといいますか、劇場版の流れを素直に強化・一本化したらこういう風になるのでないかと。もとより現段階でもAIRの本質からは相当にずれているのですし、どうせなら徹底的にやりませんとね。もしかしたら往人の法術や母親の言葉も要らないかもしれないなあ……。そうするともはやファンタジーですら無くなりそうです。