人間の本性を考える 〜心は「空白の石版」か〜

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

これは面白かったです。上中下の三巻構成ですが、最後まで刺激的で興味深く読めました。タイトルだけではちょっと分かにくいですが、内容は「人間の心は生まれたときには真っ白で、全ては外部環境によって決まる」という「空白の石版(ブランクスレート)」説に、著者が反論していくというもの。要するに、「人の心というものは進化の過程によってあらかじめ組み込まれた本性がある」というのがその主張です。これ、一見するとあらためて論じるほどのことではないようにも見えますが、実際にはかなり重大な論争になっているみたいです。著者のピンカー氏が書くには、ブランクスレート説は「文化や性別によって優劣がある」という優生学的差別を否定するのに一定の役割を果たしたものの、科学的には否定されつつあり、むしろ有害なドグマになってすらいるとのこと。本はその論証に、色々枝葉な部分を付け加えつつ、軽快に進んでいきます。
一番印象に残ったのは子育てに関する章でした。近年はああすべきだこうすべきだと山のような育児指南があらわれていますが、それらは強迫的で両親を疲弊させるばかりだとピンカー氏は書きます。これも結局「子供は親の育て方でどんな風にもなる」というブランクスレート論的考え方の現れで、実際には子供の基礎的パーソナリティは遺伝子(性格には、遺伝子の影響で形成された脳内の神経回路)でほぼ決定されているのであるというのが本書の主張。根拠として別々に育てられても一卵性双生児が非常に似ているという事例を挙げています。逆に、実子と養子を同じ家庭で育ててもまったく性格は異なるとのこと。「生まれか育ちか」とはよく言われますが、生まれの役割は大きいようですねえ……。親の与える影響を全否定はしていないものの、これなら英才教育をしようと必要以上に苦労する必要は無さそうです。
あと面白かったのは、人間が持っている「直感」のいくつかの例で、タバコに対する態度が取り上げられていた点でしょうか。「健康に悪いから」タバコを避けるのは合理的思考ですが、一歩ずれるとタバコそのものに対する「けがれ」の認識になるという指摘。これにはなるほどと思いました。僕もタバコは嫌いなのですが、確かに健康云々の理屈を超えて、半ば直感的に避ける感覚はあります。それも人間が生き延びる過程で身に着けてきた思考形態の一つといわれると、妙に納得してしまいました。大事なのは、それが必ずしも合理的でないということを自覚することと言えましょうか。
他にも、男女の違いや美の基準、暴力と戦争など、一部ブランクスレート論者によれば全部「社会環境による刷り込み」で終わらされてしまうことを、生物進化の過程で組み込まれている生得的なものであることを論じるなど、面白い話がたくさん。こういった説は一昔前までは「差別主義」として、理不尽に迫害されることも多かったそうなのですが、昨今ではやはり科学の進歩と冷戦終結の世相が影響しているのでしょうか。
もちろんピンカー氏は、人間本性の違いを認めることで差別を認めているわけではありません。暴力が人間の本性に内在したものと認めるにしても、暴力の使用が正義になるものでもありません。「環境悪者説で目をそらすのではなく、本性と認めたうえで避ける方法を考えるべき」 難しいですが、もっともな主張ではあります。
とても面白い反面、なんだか遺伝子決定論のような気分になってしまうのがちょっと危険というか、誤読してしまいやすい本かもしれないと思うのですが、個人的には広く読まれて欲しいと思いました。お勧めいたします。


余談ですが、著者の書く「ブランクスレート」派のムチャな生得説糾弾の様子はなかなかにひどいものがあります。そこでふと思い出したのが、「黒人アスリートはなぜ強いのか?」― この本も長々と「差別ではなく事実を明らかにしなければならない」という当たり前のことを注記していて、アメリカにおける一つのタブーを感じさせられたものでした。日本を含め東洋人的には、彼我の「体格の差」「能力の差」というのは良くも悪くも一般認識になっていると思うのですが(そして、それを技術とか努力で埋めようというストーリーになりますよね)、これも差別と戦ってきた歴史が生み出した副産物ということでしょうか……。そう考えると、運動能力のみならず、知的能力にまで論を広めたピンカー氏のプレッシャーもうかがいしれるというものです。